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山岳写真の鈴木菊雄館表紙に使用した、作品解説や山岳情報です。
掲載期間:2011年4月〜2012年3月

タイトルとサムネイル写真



 白衣の剱岳 (2011年4月の表紙) 

 
 白衣の剱岳は 、2011年の山と溪谷社発売の「日本百名山カレンダー」に採用された作品である。4月下旬に立山剱御前の稜線より撮影した。剱岳は北アルプス(飛騨山脈)の北部に位置する。標高は2999mと3000mに僅かに足りないが、槍ヶ岳や穂高岳と並ぶ日本を代表するアルペン的な岩山である。大陸からの季節風がもたらす豪雪地帯に位置しており、冬期は人を寄せ付けない険しさと威厳を持っている。冬らしい雪を被った剱岳を撮るには、登山技術と運である。晴天は少なく、毎年通っても簡単には撮らせてくれない。10月に入ると初雪が降り、荒々しい岩稜線の黒い部分を全て覆い隠され、晴天の女神が微笑んでくれれば白衣の剱岳が撮影できる。しかしその時期になると山小屋や交通も閉ざされてしまうので、重い撮影機材を背負って撮影地に行くのは困難だ。白衣の剱岳を撮るために、11月下旬のアルペンルートの閉鎖直前に天幕泊で撮影に通った。その後は除雪が完了する4月下旬までの5ヶ月間は雪に閉ざせれてしまうので撮影は不可能なのだ。しかも春の雪は大陸からの黄砂で雪が汚れたり、岩稜の黒い部分が多くなり、白衣の剱岳を撮る機会は非常に少ない。 
この「白衣の剱岳」が撮影できたのは、4月下旬に黄砂の少ない新雪の贈り物と、晴天の女神が微笑んでくれた結果である。小屋明け早々の立山剱御前小屋に宿泊して、山頂稜線より撮影した。

この作品は初めてデジタル一眼レフカメラ(NikonD200)で撮影したものである。私の場合は主に中判の銀塩ポジフイルムで撮影しているが、カレンダーや雑誌グラフにもデジタル作品が掲載出来るようになり、写真家には大変嬉しいことだ。作品は異なるが、同じ剱岳を2009年の12月に銀座のキャノンギャラリーに全倍サイズで展示した。これからはデジタル作品が印刷媒体や写真展作品にも増えてきそうである。





 雨上がる上高地  (2011年5月の表紙) 

 
 「雨上がる大正池」は 、2011年の山岳写真同人四季の四季の山カレンダー」に掲載された作品。5月下旬に北アルプス・上高地・梓川より撮影した、早朝の大正池と穂高連峰である。土砂降りのから中で無公害バスに乗り換えて大正池ホテル前で下車、焼岳や穂高岳は雲の中だ。湖畔で朝靄を狙って三脚を準備していると、カーテンが一斉に引かれたように朝日の穂高連峰が顔をだした。唐松の新緑と朝靄の大正池を前景に、雲動く穂高連峰を撮らえた作品である。日が昇り始めると、ガスはすぐに消えてしまった。
5月下旬の上高地ではシーズン初めのウエストン祭りが行われて、コナシやニリンソウなどが一斉に開花、華やかなシーズンが訪れる。





 ニリンソウ開花  (2011年6月の表紙) 

 
5月末、ウエストン祭りで上高地のシーズン開幕が告げられると、梓川沿いのカラマツの新緑やコナシの開花など、年間で最も華やかな季節が訪れる。ニリンソウはハイキング道の彼方此方で見られるが、徳沢付近に群落が多い、樹林帯の中であり、早朝は未だしぼんでいるが日が昇るにつれて一斉に開花する。徳沢の木漏れ日の樹林にて撮影した。





氷河上のロブソン Mt. Robson (2011年7月の表紙) 

 
カナデイアンロッキーのMt. Robsonは、バーグ湖畔から眺める北壁が最も雄大である。ロブソン氷河からダイレクトにバーグ氷河湖に流れ込んでおり、対岸から眺めていると巨大な氷河塊が湖上に崩落している様は大自然の息吹を感じる。夏最盛期の7月中旬、チャターヘリでロブソンパスのヘリポートまで飛び、湖畔で天幕2泊してMt.ロブソンを撮影した。薄曇で若干弱い日射しであったが、豊富な高山植物や氷河トレッキングを満喫出来た。





焼ける槍ヶ岳  (2011年8月の表紙) 

 
北アルプスの槍ヶ岳、東西南北のどこから眺めても三角錐の山容は目立つ存在だ。
東側の燕岳・大天井岳、西側の双六岳、南側の氷河公園や北穂高岳など撮影ポイントは数多いが、大キレットを前景にしたここ北穂高岳からが最もアルペン的である。北穂高小屋にて待機すること数日、幸にも北穂沢から発生したガスが湧きだして、夕日に輝く槍ヶ岳が撮影出来た。長い梅雨が明けた7月下旬の撮影である。





氷河上のK2  (2011年9月の表紙) 

 
K2はエベレストに次いで世界で2番目の標高(8611m)で、,パキスタンと中国チベットとの国境に聳える。登山BCはパキスタンの北東部、インダス川が西に流れを変えるスカルドからジープで1日のアスコーレよりバルトロ氷河を歩行して8日目、標高5000mのコンコルデイアだ。
2004年にアブルツイ氷河の登山基地まで歩行して撮影した。北側は中国チベットとの国境地帯であり、のK2やブロードピーク・ガッシャーブルムなどの8000m峰や6〜7000mクラスの高峰がが林立する地帯である。カラコルムとも総称され、インドとの国境も近い。
K2とは19世紀にインド測量局が付けた管理番号、カラコルム山脈の2番目の無名峰「カラコルム2・K2」がそのまま山名になったといわれている。不安定な気候と急傾斜の雪稜から、8000mの峰では最も登頂が難しいとされている。





紅葉新雪の涸沢 (2011年10月の表紙) 

 
涸沢は、周囲を穂高連峰に囲まれたカール状の地形で、山小屋やテント場がある登山基地である。穂高岳をバックに鮮やかな錦に彩られる秋の紅葉の美しさは、ベスト1といっても過言ではない。特に新雪があると、赤と常緑樹の緑と純白の3段染めの絶景が見事である。
しかし紅葉の最盛期に新雪があるのは希であり、数日積もると鮮やかさは急激に落ちる。
そんな3段染めの紅葉絶景をフイルムに撮らえようと、毎年通っている。





チョラツェ(6440m)とタウツェ (2011年11月の表紙) 

 
カラコルムを含むヒマラヤには世界の8000m峰全ての14座があるが、6〜7000m級は数知れない。その中でもクーンブヒマラヤ山群で個性的な雪嶺がタウツェトチョラツェだ。東側のエヴェレスト街道からも展望出来るが、西側のゴーキョピークから眺めるとヒマラヤ襞に覆われた2つの雪嶺が雲海上に輝く。ネパールヒマラヤ(ゴーキョピークより)





モルゲンロートの立山 (2011年12月の表紙) 

 
厳冬の北アルプスの立山連峰、豪雪と日本海からの強風が様々な雪の彫刻を生みだす。
風成雪とも言われるが、風の強い稜線でしか見られない自然の芸術作品である。黎明時にはその風成雪を、ピンクから赤色・黄色へと七色に変化する。
しかし厳冬期にこの場所に立ち、朝日の晴天に恵まれるのは希だ。入山も富山・室堂までのアルペンロードが終了する11月末までであり、その後は4月末まで待たなければならない。
右上の山頂が立山雄山(標高3015m)、左上の雲海上には富士山が展望される。

この作品は日本山岳写真協会写真展と、2011年には韓国のソウル美術館にて展示した。





2012年元旦の雲上富士山 (2012年1月の表紙) 

 
星夜黎明の4時30分に八ヶ岳展望荘を出発、横岳稜線の撮影場所に向かう。北西よりの強風を避ける場所を探して三脚を構えた。御来光予定は6時50分頃であるが、40分ほど前より奥秩父の山々と南東の富士山にかけて雲海、周辺の雲が赤く燃え始めた。天候が良すぎると朝焼けにはならない。雲海に浮かぶ富士山、荘厳なる新年の幕開けである。

2012年1月1日午前6時20分、標高2700mの横岳稜線にて撮影。





日本初登頂の8000m峰 マナスル (2012年2月の表紙) 

 
 ネパール・ヒマラヤ中部のマナスルは、日本が初登頂した8000m峰である。初めてその名前を聞いたのは昭和30年代、中学校の映写会であった。山といえば近くの里山での山菜や薪取り位でヒマラヤなど全く縁がなかった頃であったが、日本登山隊の活躍は若き血を漲らせてくれた。尖った雪嶺と「マナスル」という響きだけは40年以上立っても忘れなかった。聖なる山を汚すとして日本登山隊を阻止したサマ集落の住民も、現在は至って好意的で庭先を天幕場に貸してくれた。サマ寺院上部のマナスル高山湖より眺める山容は、右にピナクル針峰を望む相似峰で、聖なる山に相応しい神々しい山容である。





春近し 八ヶ岳(2012年3月の表紙) 

 
 八ヶ岳は長野県の諏訪・佐久地方と、山梨県にまたがる南北30km余りの山体である。
樹林帯に覆われた北部の北八ヶ岳に比べて、南部はアルペン的な岩峰が多くなり、同じ八ヶ岳といっても大きく異なる。南側の玄関口は、長野県側の赤岳鉱泉や行者小屋で冬でも晴天に恵まれる確率が高く、毎年数回撮影に訪れている。行者小屋より文三郎尾根に向かうと横岳や大同心の岩峰を背景に、ダケカンバなどの樹木に斜光が当たり輝き始める。厳冬期に新雪が降り気温が下がると美しい樹氷などに覆われるが、3月中旬になり春の足音が聞こえ始める。



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